加賀谷市内にへと向けて走る一台のクーペ。その運転席の男は強い苛立ちと興奮を感じながら、愛車のアクセルを踏み込む足に力を込める。
「待っとれよ……永瀬!六甲で付けれんかった分、俺がケリ付けに来たったからなぁッ!」
カーラジオから流れる天気予報は、今夜の天気が崩れる事を告げていた。そう、それはまるで予兆のように――。
「……それで、なんでまたお前が"普通に"此処に居るんだ?またやり合おうって魂胆か?」
紅いスポーツカー――RX-7 FC3Sに乗る男、神永 敦司は呆れた様子で隣に止まっている黄色いHCR32のドライバー――神碕
那由他に話しかける。彼が呆れるのも無理は無い。彼女は先週末、彼をバトル中にクラッシュさせようとしていた女性なのだから。そして、悪態を吐いて去った
にも関わらず、平然とした様子で自らのRX-7の横に車を止め、さも何も無かったかのようにジュースを口にしている。まるで彼女だけが何もかも忘れている
か、もしくはあの出来事を気にも留めていないか、そのどちらかとしか思えないからだ。
「別に、あたしが何処に居ようと勝手でしょ?何、安心してもいいよ。アンタは当分狙わない。少なくとも今はね。ほれ、休戦協定の証。」
那由他はそう言うと、敦司に向かって缶コーヒーを投げ渡す。その表情の裏には以前のような邪悪さはなく、言葉も真実であるようだ。缶コーヒーを受け取った敦司は、その蓋を開けながら、彼女に問いかける。
「しかし、峠の隅に隠れて獲物を探してたお前が、急にこんな目立つ場所に車を止めるだなんて、どんな魂胆だ?何か事情があるんだろ?」
敦司が疑問を抱くのも当然だ。嘗て那由他は山頂の駐車場の目立たない場所に車を止め、獲物を探していた。だが、今は駐車場のほぼ中心、多くの走り屋が集
う場所に車を止め、こうして敦司と会話をしている。「初心者狩り」を行なっていた彼女からは考えられない行動であり、それは却って不気味ですらあった。
「……近いうちに荒れる、から。……其れじゃ不満?」
天気予報は台風の接近を告げ、季節が徐々に夏を迎えつつある事を嫌でも感じさせる。那由他の言葉もそう言った意味なのだろう。敦司はそう受け取り、それ以上は語らなかった。恐らくは、これ以上の詮索をしても彼女には意味が無いだろう。そう考えたからだ。
「走るんなら気をつけた方がいいよ。今夜は雨が降ってくる。あたしに狩られる前に自滅、だなんてダサい真似は止めてよね。今夜はあの女も茶髪も居ないんで
しょ?一人で無茶して気がついたら……なんてアンタはやりかねないからね。そうじゃなきゃ、あんな滅茶苦茶な方法であたしから逃げ切れやしなかった。」
敦司をからかうように笑いながら、那由他は言葉をかける。だが、その言葉は以前よりも角が丸くなったような、そんなものを感じさせた。嘗ては敵同士だった二人が、冗談交じりに会話をする関係になる。そんなゆったりとした時間を、VTEC特有のサウンドが切り裂いた。
山頂に現われたのは銀色のボディを纏った一台のクーペ――DC2型 ホンダ
インテグラだ。しかし、走り屋にとって定番である「タイプR」ではなく、その特徴的な丸目四灯のヘッドライトは其れが前期モデル、すなわちタイプRでない
事を示していた。派手なエアロパーツも纏わず、車高を落とし、バーディークラブのP-1
Racingを履いたその姿はこの車で嘗て流行したカスタム手法、「スポコン」ことスポーツコンパクトではなく、走り屋の車として乗られている事を示すに
は十分なものだった。そして、そのナンバープレートは加賀谷近辺のものではなく、関西方面のものであり、其れはこのドライバーが少なくとも加賀谷の人間で
はない事を周囲に認知させるには足りうるものだったであろう。
「永瀬!お前居る(おる)んやろ!?さっさと出てきて俺とのケリつけえや!……こっちはわざわざ六甲から出向いて来とんねん。タダで帰るわけにはいかんのや!」
DC2の男は愛車を駐車場のど真ん中に停車させると、ドアを開けるなり、「永瀬」と呼ばれる人物の名を叫び続ける。しかし、加賀谷の走り屋達には見当が付かないのか、誰も彼に対して名乗り出ようとはしない。いや、しなかった。唯一人を除いては。
「悪いけど、あたし達は永瀬なんて『男』は見ていないし、知っているわけも無い。ましてや此処に走りに来ているわけなんて無い。だから、悪いけどアンタの長旅は無駄足ってわけ。悪いけど、"タダで"帰ってもらえるかしら?」
尻込みをする加賀谷の走り屋達の間を抜け、DC2の男に話しかけたのは愛車と同じ、黄色のパーカーを纏った少女――那由他だった。しかし、彼女の言葉を聞いた男はある部分が引っかかったのか、那由他に食って掛かり、激昂する。
「お前、何で永瀬が『男』やて知っとんや?ホンマはお前、永瀬の事知っとるやろ。青のS15ん乗ったスカした野郎や。嬢ちゃんやからて、俺は容赦せえへんで。さあ、知っとること全部ゲロってもらおか!?」
売り言葉に買い言葉。恐らくはその表現が最も適切だろう。男の言葉に那由他も激昂し、反論をする。
「悪いけど、あたしは『S15』に乗った永瀬なんて走り屋は知らない。『S13乗り』でなら知らないことも無いけどね。それに、走り屋なんて大半が男
よ。……ただ勘で適当に言っただけ、それで知ってると思われるなんて、とんだ単細胞もいいとこね。まあ、わざわざ六甲くんだりからこの加賀谷まで自走して
くるような馬鹿だから当然と言えば当然か。」
しかし、この言葉に男は口元をにやけさせる。恐らくは彼が求めている『永瀬』と言う男と共通する情報を聞いたのだろう。
「お前、『S13』の永瀬言うたな?……ちょいとつついたら簡単にボロ出しよる、どっちが阿呆か解らへんのお?嬢ちゃんに説明したるわ。永瀬の奴、六甲に
来てから15に乗り換えよったんや。それで散々六甲の走り屋をええようにからこうてくれたわ。せやから、俺はあいつが六甲を去る前にケリ付けたろ思て約束
したんやけどなあ……あいつ、逃げよった。せやからわざわざ俺がケリつけにこっちまで出向いてきたったっちゅうわけや。永瀬の事知っとるんやったら話は早
い、早よ出してもらおか?」
那由他は一瞬驚いた表情をするが、直ぐに態度を戻し、男に向かって啖呵を切る。
「……ッ。こっちが乗せられるなんてね、馬鹿だと思ったこっちが油断しすぎてたわ。ただ、永瀬は本当にこの加賀谷に姿を見せてはいない。S15に乗った走
り屋すら誰も姿を見ていない。それは本当よ。どうしても何かをして帰りたいのなら、此処の連中が永瀬に代わってバトルを受けてやらないこともない。インテ
グラのSiなら、其処の紅いFCあたりが妥当ってところかしら?アイツはまだ経験は浅いけどイカれてる。昔の永瀬みたいにね。それでどう?」
敦司のRX-7を指し、一方的に言葉を吐いていく那由他。怒りで頭が回っていないのか、それとも何か計算があっての事なのか、それは誰にも解らない。だ
が、那由他は敦司のRX-7の助手席に乗り込むと、そのシートベルトを締める。そして「行け」と合図をすると、相手のDC2にへと目をやる。
「さて、一発FF退治と行こうじゃない、敦司。……何、アイツはDC2でもタイプRじゃない、ただのSi。一応同じB18Cを積んでるけど、その素性は駄
馬とサラブレッドほど違う。アンタはFRしか相手にしてないみたいだし、軽い練習だと思って行きゃいいのよ。どうせ負けずに最速になるー、だとか、漫画み
たいな夢物語描いちゃいないでしょ?あの二人が居ないから、今回は特別にあたしが横に乗ったげる。あれだけ啖呵切った以上、最低でも無様な負け戦だけは避
けなきゃ、ね。『FCのお兄さん』?」
其の言葉が何処まで本気なのかは本人にしか解らない。だが、既にRX-7の横にはDC2が並び、スロットルを煽っている。もはや退く事の出来ない状況
だ。敦司は那由他に悪態を吐こうとしたが、それも無駄だと諦め、目の前の景色に全てを集中させる。スターターが間に立ち、腕を高く突き上げる。一つ、また
一つと畳まれる指。そして最後の一本が折りたたまれると同時に、二台のマシンは駆け出した。
スタートではトラクションで有利な敦司のRX-7が前に出る。FFは其の構造上、スタートダッシュでは駆動輪である前輪にトラクションがかかり辛い。此
処までは誰もが予想した事だろう。だが、スタート後のストレートでDC2は差を詰め始める。DC2の男は口元に笑みを浮かべると、其のノイズと加速に陶酔
した様子で誰にともなく言葉を呟く。
「ふん、Siやと散々馬鹿にしよったが、見た目に騙される阿呆やのう。六甲で散々やられてから、コイツの心臓はB18C-Rに変わったんや!ホンマは丸目
に拘る以上、B18Cで行きたかったけどなあ、こっちかて流石に形振り構う事はもうでけへん。舐めた車にチギられる敗北の味っちゅうのも悪うないで、嬢
ちゃんなぁ!」
第一コーナー入り口、辛うじてRX-7がインを押さえる形にはなるものの、其のストレートでDC2との差は殆ど無い。ブレーキングでの突っ込み勝負。だ
が、二名乗車の上に特に軽量化を施しているわけでもないRX-7と比べ、リアシートを取り払い、大幅な軽量化が施されたDC2の方がこの勝負に対する分を
持っている。敦司がブレーキングをした其の先で、嘲笑うかのように点灯するDC2のテールライト。コーナー一つでポジションが入れ替わる。初めて走るコー
スでありながら、この男はまるで自分の地元のように理想的なラインを描く。FF特有のコーナーを切り裂くようなライン。それは芸術的ですらあり、DC2の
男の実力を示すには十分だった。
「ちっ、直線でもコーナーでも同等……いやそれ以上だって言うの!?とんだ隠れ球が関西に居たもんじゃない。だけど、FRがFFに負けるはずが無いし、負
けるわけにはいかない!――敦司!!アイツの弱点はコースを知らないこと、それしかない!だから、あたしのナビに徹底的に従って走って!地の利を活かし
て、僅かな勝利の可能性でも必ず掴み取る。あれだけの大見得切っちゃったんだ、負けたら二人とも加賀谷には顔出せなくなるわよ!」
焦りの表情を見せる那由他だが、彼女はコース図を頭の中で描き、DC2に勝てる可能性を探る。しかし、どの計算も自らの頭が希望とは違った結果を弾き出
す。其れが焦りを生み、徐々に離されて行くRX-7。挑発するかのように揺らめくDC2のテールを睨みつけながら、那由他は祈るような気持ちで敦司に理想
的なラインを告げていく。一つ、また一つとコーナーを抜けて行くうちに、一つの異変が起こった。フロントウィンドウを叩く雨粒。そう、其れはバトル前に
カーラジオが告げていたもの。DC2の男は本能的にアクセルを緩め、ワイパーを動かそうと手を伸ばす。僅かではあるが、差が縮まった瞬間だった。そして、
その異変を那由他は見逃さない。
「来た……来たッ……!これは奇蹟と言うしかないわね。慣れないコース、オマケに天気は雨。アイツは嫌でもペースを落とさずにはいられない。慣れてる地元
の走り屋だって雨の夜なんて好きじゃあない。でも、あたしは雨の走り方を知ってる。敦司!アンタはアクセルワークに全神経を集中させて!コースはあたしが
教える!それを信じてッ!」
「クソが!ついに雨が降ってきよった……。先なんて見えへん……。オマケに下手に側溝の蓋でも踏んだらアンダーでガードレールへ一直線や。……ちっ、俺もまったくツイてへんなあ……。けど、先を走っとるんは俺や!抜かさへんかったらええだけのこっちゃ!」
しかし、明らかにDC2の男の走りは変わっていた。コーナーを恐れない攻撃的な走りから、コーナーのイン側に忍んでいるかもしれない側溝を嫌ってか、イ
ン側を攻めることが出来なくなっている。そして、ストレートでも先の見えない恐怖からか、明らかにアクセルを緩めている。其れに対し、敦司のRX-7は那
由他のナビに従い、イン側ギリギリのラインを攻め、少しでもスロットルを開ける事でDC2との差を詰めていく。勿論、二人に恐怖が無いわけではない。だ
が、互いを信頼するコンビネーションと、地元の走り屋であると言う地の利がRX-7を加速させる。それがDC2の男の焦りを生み、走りを徐々に乱してい
た。
「ちいッ!ああも鮮やかにラインを削ってこられたら嫌でも差ぁ詰められる!地元っちゅう奴ぁ恐ろしいなぁッ!畜生ッ!」
しかし、それでもまだリードは僅かながらではあるが、DC2に存在する。コース中盤での難所、高速ヘアピンが続くエリアまでリードを保っているのだ。過
去のバトルからも解るように、多くの勝負が此処で決した。だが、この男はまだ先を走っているのだ。まだ勝負は決まっていない。
「このエリアで仕留めるよ、敦司!アイツは安全策を取って攻めてる。少々"きつい"けど、ここで一気に差をゼロまで縮める!」
若干スピードを殺し、安全なラインを選ぶDC2に対し、イン側の草を巻上げる勢いで攻めるRX-7。差はいよいよ詰まり、二台はS字の脱出で並ぶ。そし
て其の先に待つコーナー、DC2の男はアクセルを乱暴に踏み、イン側ギリギリのラインを強引に攻める。それを見た那由他は叫び、敦司に命令を出す。
「ダメ!あのDC2、イン側の側溝に気付いてない!あれじゃフロントが流されて吹っ飛ぶ!敦司、フルブレーキングでDC2の後ろに並んで!そしてアイツがアンダーを出したらイン側に逃げて全力回避!」
焦りが生じていたのだろう。DC2の男はイン側の側溝の存在を見落としていた。フロントタイヤから消えるグリップの感触。雨で濡れた側溝は容易くタイヤ
のグリップを奪う。とっさにブレーキを踏み、車体を抑えようとするが、アンダーステアを殺しきる事は出来ない。ガードレールを撫でるように、アウト側を走
らざるを得ないDC2。其のイン側を紅い車体が駆け抜けていくのを、DC2の男は眺める事しか出来なかった。
「アカンわ……ああもあっさりとインを刺されたらもう前には出れへん。これが永瀬やったら、もっと早ようケリ付けられとったやろな……。悔しいけど、楽しいバトルやったで、FCのあんちゃん。」
山頂の駐車場、紅いRX-7と黄色いHCR32、そして銀色のDC2が並んで止まる。DC2の男は笑いながら愛車から降りると、RX-7の二人組――敦司と那由他の方へと歩き出す。
「いやー、おもろいバトルやったわ。最初は勝てると思たんやけどなあ……。やっぱ、地元やないときっついわー……。」
其の表情にバトル前のような激昂した様子は無く、まるで地元の顔馴染みの走り屋であるかのように、二人に向かって話しかける。
「あ、せやせや。肝心の俺の名前名乗ってへんかったな。香坂 英二(こうさか えいじ)っちゅーモンや。後での挨拶になってもたけど、よろしゅうな。」
DC2の男――英二はそう言うと、敦司のRX-7をまじまじと観察する。そして、オーバーリアクション気味に驚くポーズを取ると、ため息を吐きながら呟く。
「なんやこれ、殆どノーマルに毛ェ生えたような車やんけ……っちゅーことは腕で負けたんかいな……。はぁ、辛っらいわぁー……。けど、悪い気はせえへん。
ようやるやん。FCのあんちゃんと、“阿呆”の姉ちゃん。アンタらなら、永瀬にも勝てるかもなあ。いや、俺の代わりにやっつけたってくれへんか?俺もそう
長い事こっちに留まれへんしな……。」
一方的にまくし立てる英二に対し、那由他は呆れた様子で毒混じりに声をかける。
「誰が阿呆よ誰が。あたしは神碕 那由他、で、こっちの男が神永
敦司。ま、アンタはじきに六甲に帰るんだろうけど、名前くらいは覚えておいてよ。……で、ちょっと聞きたいんだけど、『永瀬』――永瀬 渉(ながせ
わたる)について知ってる事を教えてはくれないかしら?本当の事を言うと、アイツはもう加賀谷に帰ってきてる。……未だ、誰も其の姿を見てはいないけど
ね。それだけじゃない。本条 晶(ほんじょう
あきら)も姿を出し始めた。アンタは知らないかもしれないけどね。この加賀谷では嘗て最速と呼ばれてた連中よ。そいつらが、戻ってきた。これは何かが起き
る。そう思えて仕方が無い。だから、六甲でのそいつの事、教えて……お願い。」
懇願する那由他に面食らいつつも、頭を掻きながら英二は言葉を出していく。
「何や、ここはそんなおもろい事になっとんか……。せやったら長居すんも悪うないかもな……ってちゃうちゃう、永瀬の事やろ?あいつは突然現われて、六甲
の走り屋を赤子の手捻るようにぶっちぎって行きよった。それも乗っとる車がS15のSpecRをハイチューンした車とかっちゅうんなら解らんでもない。け
ど、あいつはNAのS15……ほれ、オーテックバージョンってあったやろ、NAの15ベースにオーテックがチューンしたやっちゃ。あれで俺のDC2も、
FDも、GT-Rもぶっちぎりよった。まるで漫画の世界や思うやろ?けど、それが現実で起きよった。六甲の連中は徒党組んでまであいつに対抗しようとした
で?でも、誰一人としてあいつの戦歴に傷一つ付けれんかった。滑稽な話やろ。けどな、余計俺らが無様やったんは、普通天下取ったら『俺が一番や』とか顕示
したりするやろ?せやけど、あいつは六甲の連中をちぎっても表情一つ変えずに、まるで満足できんと言った様子で毎晩常に誰かと走りよった。当然、無敗や。
それがな、会社の都合で異動が決まって、加賀谷に来ると決まったとたんに表情変えて、まるで生気取り戻したみたいになりよって……。俺らにとっちゃ悔しい
やろ?それ。だから、なんとかあいつをぶっちぎろうと半ばレース用みたいなタイヤ履かせて、エンジンもB18CからB18C-Rに載せ換えて……まあ、そ
れが今回の敗因やったけどな。雨振ったらあんなタイヤ役にたたへん。恐ろしゅうてアクセルや開けれんわ。……ちと話脱線してもたな。俺が話せるんはまあこ
の辺って所や。那由他のねーちゃんも、敦司の兄ちゃんも、青のS15には気ぃつけや。あいつはタダモンやない。バケモンや。」
英二の言葉に沈黙する一同。だが、那由他が切欠のように口を開く。
「そいつ……黒のFCがどうとか言ってなかった?」
其の言葉に反応したのか、英二は先ほどまでのおちゃらけた様子を改め、真剣な顔つきで言葉を選びながら話し出す。
「ああ、言うとった。特にあいつはFC乗りの走り屋に執着しとったな。他の走り屋には見向きもせぇへんのに、FC乗りに対してはまるで批評家や。相手のこ
となんてお構いなしできっつい言葉言いよったで。それで、何度か『黒のFC3C』って言うとったな。加賀谷に異動が決まった時も、「FCとまたやれる」て
大喜びしとったわ。」
英二が言い終わるが早いか、那由他は自らの車に乗り込むと、乱暴にエンジンを始動させる。今にも走り出しそうな其の姿に敦司と英二は声をかけるが、那由他は視線すら向けず、そのまま愛車のアクセルを踏み込み、加賀谷を去っていった。
「なんや……急にごっつ様子変えよってからに……。あ、せや。敦司の兄ちゃん、悪いけど今日は泊めてくれへんか?実は俺、宿取ってへんねん。……ま、積もる話はそこでしようや。あの嬢ちゃんの様子見る限りやと、どうやらただ事じゃないみたいやしな……。」
加賀谷市内に建つ一軒家。比較的大きな其れは、車を数台は納められるガレージを備えたものだった。その家の前に停車する那由他のHCR32。雨の中、傘もささずに門の前に立ち、出てくるであろうこの家の主人を待ち続けている。
「やれやれ……濡れるだろう?……今夜はどうせ雨だ。家の中に入っていい。」
立ち尽くす那由他を見た家の主――烏羽 三月はそう言うと、那由他を家の中に招き入れた。
三年前で止まったはずの時計。其れはこの夜、再び動き始めた。