時計の針が日付が変わったことを示す頃、加賀谷の頂上には一台の黒いラグジュアリークーペ――ユーノスコスモが停車していた。其のドライビングシートに座る女性は携帯電話の着信履歴を確認しながら、自嘲とも取れる乾いた笑いを浮かべる。
「(『何もないと知っているのに、何故引き込んだのか』――考えても、私にすら解るわけがない。)」
「失うための片道切符、そんな物を何も知らない若者に手渡してしまった。……滑稽だな、私は。これでは道化そのものだ――。」
カーラジオから流れる古い洋楽は、恋人達の別れを只管に歌い続けている。失うための物語――。そう、それはこれから始まる出来事を予兆しているかのようだった。
曲が流れ終わり、DJが次の曲へと切り替えるアナウンスをしようとした頃。コスモのウィンドウ越しに聴こえる微かなノイズ。其れは彼女が待ち侘びていた
――いや、来る事を望んでいなかった者の到来を告げる音だった。自らの愛車と同じ、ロータリー特有のサウンド。そして其れは徐々に大きくなり、遂に彼女の
横にへと現われた。紅いRX-7
FC3S。マツダスピードのホイール以外はノーマル然とした外観を持つ"其れ"はそのオーナーが本来この場所に居るべき人間ではない事を示すには十分だっ
た。だが、それもこの瞬間から変わるのだ。コスモのドライバーはラジオの電源を落とすと、愛車のドアを開け、RX-7にへと歩み寄る。先ほどまでの表情は
消し去り、あくまでも冷静を装いながら。
「……よく着たな、遅かったじゃないか。」
普段の自分の姿。人を食ったかのような態度。其れが今の自分に出来る一番の振舞いだと信じ、彼女はRX-7のドライバーにへと話しかける。
「すいません、こちらから連絡を取ったのに。"コイツ"がどうしても付き合うって言うもんですから……。」
RX-7のドライバー――神永 敦司がそう答えると、"コイツ"と呼ばれた人物……助手席の茶髪の男、細田
澄晴は軽い笑みを浮かべて会釈をする。恐らくは友人が心配なのだろう、そして、恐らくは彼も此の先に待っている物を知っている――。コスモのドライバー
――烏羽 三月は直感的に其れを把握し、再び自嘲気味に笑う。
「やれやれ、お守り付きとはね。よほど君は心配されているらしい。だが、安心して欲しい。私が居る限り、彼は無傷で帰す。」
三月は澄晴にそう告げると、敦司をRX-7の運転席から降ろし、自らの愛車の助手席にへと誘導する。そして20Bの咆哮を轟かせると、準備完了と言った赴きで加賀谷のスタート地点にへとコスモを進める。だが、今回は相手は居ない。一台だけのドライビングだ。
「流石にいきなり一人で走れ、とは言えないからね。先ずは私の助手席でコースを覚えてもらう。この加賀谷はトリッキーなコースだ。生半可な覚悟で走れば先日のBNR34のような最期が待っている。――怖気づいたかい?」
其れは彼女にとっては懇願のような物だったのだろう。失うことを知りながら、引き込んでしまった。それをやり直す最後の機会だからだ。だが、彼女の願い
は打ち砕かれる。そう、この若者は最後を知らないのだ。此の先に待ち受けている結果も。得るべき物など何もないという事も。
「いいでしょう、烏羽さんにお任せします。」
「(ああ、私は愚かだ――。だが、此処まで着たら最期まで彼を見放さない。其れがせめてもの償い、なのだろう?)」
普段よりも少し強く、アクセルを踏む足にへと力を込める。其れは決意の表れなのか、諦めのサインなのか。其れは誰にも解らない。だが、全てはまるで機械
仕掛けの神に操られているかのように、今、この場に居る全員が与えられた役を演ずる役者であるかのように、残酷に動き出した。
加賀谷の下りを黒いコスモが駆け抜ける。三月にとっては抑えた運転だが、並みの走り屋には決してそうは見えないだろう。だが、これはあくまでもコースを
覚えてもらうための同乗走行なのだ。彼女にとっては普段よりも退屈で、そしてフラストレーションの溜まる行為でもあった。だが、彼女は決してスピードを上
げはしない。敦司を最期まで見届ける。其れが己に立てた誓いであり、償いなのだから。
「基本的に序盤で注意すべきセクションはロングストレートの後に待ち構えている低速ヘアピンだ。ここは若干勾配がきつくなってスピードが乗りやすい上に、
コーナーの角度を見誤りやすい。だから、速度を見誤り、自滅する走り屋が後を絶たない。……尤も、君は間近で其れを見たから説明するまでもないだろう
が……。」
路面にはタイヤ痕が刻まれ、ガードレールは抉られている。其れは先日のBNR34の姿をフラッシュバックさせるには十分だった。
「――ッ……。」
「そして、此処からは中低速セクションが続く。パワーで劣る車が勝負を仕掛けるならここだ、と言いたい所だが、加賀谷の本当の攻め場所は此の先にある。走り尽くした者しか理想のラインを描けない場所。全てが決まる場所だと言っても過言ではない。さあ、見えてきた。」
高速のS字コーナーが続くセクションはまるで遊園地のアトラクションのようにコスモの巨体を左右にへと振り回す。だが、慣性にすら抗うかのように三月は強くアクセルを踏み込むと、其の先のコーナーに向かって全力でブレーキを踏み込んだ。
「此処が、勝負の決まる場所――高速で連続するS字で振られた車体を抑え、このコーナーへの理想的な進入体制を描かなければ速くは走れない。生半可な走り屋では慣性に全てを奪われ、無様なアンダーに見舞われるだけだ。」
口では難易度が高いかのように言いつつも、三月の操るコスモは"理想的なライン"を描き、コーナーを脱出する。其れは彼女がこのコースを知り尽くし、そしてまた其れを実践できるだけの実力を持ち合わせていることの証明だった。
コスモはその後、二度、三度とコースを走り、敦司に加賀谷の攻め方――いや、「事故を起こさない走り」を叩き込む。どれだけの夜が来ようとも、彼と彼のRX-7を無事に帰す。其れが三月にとって出来る事であり、最善の方法であると信じていたからだ。
そしてコスモの隣に止められたFCに乗り換え、コースを敦司の運転で走ろうとした時だった。峠に響くSR20DETのエキゾーストノートとスキール音。
加賀谷の走り屋を挑発するかのようなパフォーマンスと共に現われた、敦司のRX-7と同じ紅い車体を持つこの車は、日産の誇るFRマシン――180SX
だった。C-Westの派手なエアロパーツが自己主張をする其れはこの加賀谷では見かけないものであり、そしてリアウィンドウに貼られたステッカーは先日
の遠征組と同じ物……つまり、県外の走り屋であることを示していた。
180SXから降りてきた男は加賀谷の走り屋達に一瞥をすると、三月の顔を見つけ、其の横にへと歩み寄る。
「よぉ、姉ちゃん、この間は健二さんのGT-Rにナメた真似してくれたじゃねぇか。あれじゃあ、チームの看板に泥を塗られたも同然だ。こっちから売った喧
嘩だ。あんな終わり方じゃあ夢見が悪くってよぉ。此処は一つ、リベンジレースと行こうじゃねえか。峠にゃ似合わねぇその舐めた車、解体屋送りにしてやるか
らよ。」
其の口調は明らかに友好的といったものではなく、走り屋と言うよりむしろ暴走族のそれに近いものだった。だが180SXのドライバーは最終的には暴力も辞さないと言った姿勢で三月に接しており、バトルは避けられないかに思われた……が。
「申し訳ないが、其のバトルは辞退させてもらうよ。何なら私の"不戦敗"だと吹聴して貰っても構わない。君の180と私のコスモでは性能が違いすぎるし、何より今日はバトルをする気分ではない。――どうしても、と言うのであれば、こちらにも考えがあるがね。」
三月の意外な態度に拍子抜けした男は、コスモのドアを蹴り飛ばし、一触即発と言った雰囲気で怒鳴り散す。
「手前舐めた事抜かしてんじゃねぇぞクソアマがぁ!?俺じゃ相手にならないってのか?どこまで人に喧嘩を売れば気が済むんだ、手前様はよぉ!?」
しかし、彼の行動、そして言葉は三月の"導火線"に火をつけるには十分であった。
「――他人の車への敬意を払えない男が一人前に走り屋面をするとは、反吐が出る。いいだろう。だが、相手は私ではない。このFCだ。そっちが何馬力出てい
るかは知らないが、少なくともこのFCは私のコスモよりは"大人しい"マシンだ。そしてドライバーも彼が務める。……尤も、私がナビを務めさせてもらうが
ね。彼は経験が浅い。其れくらいのハンデはあってもいい、だろう?」
「上等だ。コスモだろうとFCだろうと関係ねえ。ぶっ潰してやるから覚悟しやがれ。」
180SXの男はそう吐き捨てると自らの愛車に乗り込み、スタート地点にへと移動する。
「ちょっと、烏羽さん、勝手に何を……ッ!」
「なあに、ちょっとした"実践トレーニング"さ。まさか君も、ドライブするために加賀谷に再訪したわけじゃあないだろう?何、あの180SXの男は今の加
賀谷の走り屋にすら劣るような三下だ。車の性能では劣るかもしれないが、私のナビ通りの走りをすれば必ず勝てる。むしろ、負けるほうが難しいくらいと言っ
てもいいかもな。安心しろ。君も、君のFCも傷つけさせはしない。」
三月はそう言うと、シフトノブにかけられた敦司の手を握り締める。そして目で合図をすると、澄晴にスターターを指示し、FCをスタート地点にへと移動させる。
「カウント行くぞ――!5、4、3、2……」
澄晴の声が聞こえるか聞こえないかのタイミングで二台は強くアクセルを踏み込む。初めはパワーで勝る180SXが前に出る形となった。RX-7と言えば
国産でも最強クラスの280馬力マシンだと思われるかもしれないが、其れはFD3Sの後期モデルでやっと達成できた数値である。敦司のRX-7は其れより
も古いFC3S、それも前期モデルであり、カタログ値通りの数値が出せていたとしても精々185psと言ったところだろう。其れに対し、相手の180SX
は社外のマフラーやタービンで武装されている。三月のコスモ程とまでは行かなくても、其れ相応の馬力が出ているはずだ。
「慌てるな、先ずは相手の車の後方に喰らいつくんだ。ドラフティング……スリップストリーム……聞いた事くらいはあるだろう?馬力で劣っていても、喰らいつき、オーバーテイクを行なう機会は幾らでもある。自分と、自分のFCを信じるんだ。」
高速域では空気抵抗がスピードを殺す壁となる。だが、相手の車の後方に入ることで其の空気抵抗を減らし、少しでもスピードを伸ばす事が出来る。常に高速
を維持し続ける、米国のNASCAR等では必須とされるテクニックだ。そして、リトラクタブルヘッドライトを採用するRX-7では僅かな空気抵抗も馬鹿に
はできない。1km/h……1km/h……僅かにスピードを増し、180SXのリアに喰らいつくRX-7。このまま直線が続けば、オーバーテイクをするこ
とも不可能ではないだろう。だが、此の先には加賀谷初の難所、BNR34がクラッシュしたヘアピンコーナーが待っている。180SXはそれを察知してか、
コーナーより大きく手前でブレーキを踏み込む。それは恐怖心の表れか、安全策を狙ったのか……だが、其れはRX-7に絶好の機会を与える痛恨のミスだっ
た。
「口の割には度胸のないドライバーか、それとも思っていたよりクレバーなのか……だが、其の判断は誤りだ。良いか敦司!私が『踏め』と言うまでアクセルを踏み続けろ!インから一気に仕掛ける!」
少し、また少しとコーナーが近づき、敦司の心に恐怖心と大破したBNR34の姿がちらつき始める。しかし、三月に全ての判断を任せ、怯える心に鞭を打ち、アクセルから足を離させない。
「今だ!フルブレーキング、だが決してロックはさせず、コーナーに突っ込む姿勢を取れ!」
三月の言葉に応え、RX-7は180SXのイン側に切り込む。そしてギリギリのブレーキングでテールをブレイクさせると、180SXの進路を塞ぐ形でコーナーにへと突入した。
「いいか、決してアクセルから足を離すな。アクセルワークで姿勢を調節し、後輪のグリップを常に感じろ。そしてグリップを取り戻した瞬間、脱出のためにより強く踏み込め!」
"このような"車に乗りながら、今までスポーツ走行をした事がない敦司にとって其れは無謀な要求にも等しかった。だが、三月が同乗していると言う安心感
が、コーナーをクリアできると言う自信を与えていた。初めてのドリフト。其れは決して完成した物とは言えはしないが、180SXのラインを殺したまま、
RX-7はそのままの姿勢を維持し、鮮やかにコーナーを脱出する。
だが、コーナーを抜けた先にはまだコースが待っている。このコーナー一つで先行したところで、パワーで勝る180SXにはまだ巻き返しの機会があるの
だ。そう、そしてこのストレートで180SXは一気に差を詰める。RX-7がかろうじて先行する形になっているが、其のプレッシャーはこれが初陣となる敦
司にとっては相当な物だろう。だが、三月は冷徹にナビを続ける。
「此処から先は中低速セクション、奴の180SXの前を抑えていれば抜かれる事はない!いいか、プレッシャーに押し潰されるな。地の利はお前にある。私に全てを任せろ。勝負は――"あの場所"で決する!」
一方、180SXのドライバーは現状に強い苛立ちを感じていた。コスモを撃墜(オト)してチームメンバーのリベンジをする予定が、初心者にしか見えない
RX-7が相手なのである。其の上、度胸が試されるコーナーでのブレーキング勝負に負け、自らが後追いをする形となっている。それは焦りを生み、走りに少
しずつ綻びを生じさせていた。
「クソッタレが!トロトロ走りやがって!こっちのSRの馬力が全然出せやしねぇ!待ってろ……此の先は高速セクションだ。そこでぶっ潰す!!」
焦りと苛立ち。其れにより生じる破綻。三月は其れを予期し、敦司にアドバイスを行なう。
「いいか、此の先の高速S字の先に待ち受けるコーナー、其処には気を付けろ。あの180SXは既に破綻している。何が起こるか予想できん。」
中低速セクションを抜け、高速S字にへと突入する。「勝負が決まる場所」そう、其処へ――。
左右に振られる二台の車体、だが、180SXが徐々にスピードを増し、RX-7との車間を詰めてくる。そして最後のS字、インとアウトが入れ替わる場所。アウト側から一気に仕掛けてきた180SXに対し、三月は敦司に対し回避命令を出す。
「ダメだ!奴はコントロールを失う!可能な限りイン側に寄せろ!お前は――私が守るッ!」
180SXはアクセルを強く踏み込みすぎた。慣性の力に逆らいきれず、振り回された車体はリアフェンダーをガードレールにへと叩きつけ、反動で反対側に
へと弾かれる。180SXのドライバーはとっさにカウンターを当てるが、既にコントロールを失いきった車体はどうしようもならない。ノーズはガードレール
の方へと向き、ヘッドライトはフラッシュバックのように其の白い姿を強く照らした。フロントから突っ込み、吹き飛ぶ180SX。敦司のRX-7はかろうじ
て其の車体とガードレールとの僅かな隙間を潜り抜け、白煙を巻き上げ停止する。勝負は此処に決した。
「やれやれ、君達は自滅が特技なのかい?……尤も、GT-Rの彼よりかは幾分マシだったようだけど……。」
フロント周りが潰れた180SXを前に、三月は呆れたように呟く。180SXのドライバーは軽い怪我で済んだようだが、其の愛車はリアフェンダーとフロントが潰れ、無残な姿となっていた。
「地元の走り屋連中に声をかけて顔馴染みのローダーを呼んでおいた。そいつに乗せて帰るといい。流石に自走は無理だろうからね。さて……GT-R、180SXと来たら、次は何が来るのかな?まさか、AE86でも持ってくるって言うんじゃないだろうね?」
三月の挑発的な言葉に、180SXの男は煙草に火を付けながら悪態を吐く。
「けっ、今回のは俺の独断だよ。こんなイカれた連中だらけの峠に何度も来るほど俺達だって命知らずじゃねぇさ。……精々帰ったらチームの連中にも伝えておくよ、『火傷したくなけりゃ手を出すな』とね……。」
180SXの男は煙を吐き出すと、敦司に向かって話しかける。
「よぉ、FCの兄ちゃんよ、バトル暦が浅いって聞いたが、何戦目だ?あんなイカれた突っ込みが出来るなんて、相当走りこんでるはずだぜ?」
敦司は言葉に詰まると、其れを察したのか、横から三月が助け舟を出す。
「……すまないね、彼は今夜が初めてなんだ。」
「な、なんだってぇ?……てぇと、俺は初心者にすら負けたってのか。たははは、コイツぁ笑えねぇや。本当に加賀谷の連中はイカれてるよ。精々、命と車を大事にしてくれや。“三年前”みたいにはならないようにな――。」
180SXの男の表情は負けたにも関わらず、穏やかな物に変わり、敦司を仲間として認めたようだった。しかし、「三年前」と言う言葉を聞いた瞬間、三月の表情は曇り、それから180SXの男が去るまでの間、彼女は敦司と一言も言葉を交わすことはなかった。
「ローダーが呼ばれたらしいが……まさか、敦司の奴……いや、あのバケモンが乗ってるんだ……。」
山頂の走り屋達の間には憶測が広がり、澄晴は最悪の事態を想像していた。大破したRX-7。血を流す友人の姿。全ては数日前の己の軽率な行動が招いた結果なのではないかと。自らが友人を傷つけたのではないかと、彼は一人山頂で祈るようにRX-7の帰還を待っていた。
そしてRX-7特有のロータリーサウンドが聞こえた瞬間、彼は胸を撫で下ろし、友人を迎えようと精一杯の笑顔を作る準備をしていた。
「“三年前”の繰り返しは御免なんだ――。俺は、もう何も失いたくはない。」
始まりと同じように、コスモの隣に停車するRX-7。其処に駆け寄った澄晴は乱暴にFCのドアを開けると、敦司の体に飛び込んだ。
「いやあ!無事に帰ってきてくれただけでもよかった!オマケに初勝利だなんて!お前、才能有るよ!……本当に、無事でよかった。」
「おいおい、大袈裟だな……。まあ、実際最後はヤバかったんだけどな。烏羽さんのナビのおかげさ。」
敦司は澄晴を撥ね退けると、助手席に座るスーツ姿の女性――三月に対し礼をする。
「しかし、私はハンドルを握っては居なかったからな。君の実力だと誇ってもいい。それに『烏羽』と言うのは止めてもらえないか?どうも他人行儀過ぎて困る。『三月』で良い。」
三月はオーバーリアクション気味に肩をかしげると、敦司に対して手を差し出す。
「ようこそ、夜の加賀谷へ。」
敦司は其の手を握り返すと、愛車のウィンドウ越しに空を眺めた。
「(これが夜の加賀谷、か……)」
一方其の頃、駐車場の端には一台の黄色いHCR32が停車していた。Work製のメッシュホイールと社外のボンネットダクト以外はノーマル然とした外観の其れは加賀谷の走り屋達の車に溶け込むものだったが、其の運転席には凡そこの場に似合わない少女が座っていた。
「ふうん、初陣で300ps近い180SXを撃墜(オト)すなんて、あのFCも中々やるじゃない。尤も、ナビとしてあの女が乗っていたから、本当の実力は
未知数と言ったところか。……だけど、気に入らない。ああ言った調子付いた、浮ついた奴は何時か“三年前”と同じ事を繰り返す。だから――潰す。」
HCR32の少女は愛車のキーを捻ると、アクセルを踏み込みそっと加賀谷を去る。其の心の中に存在する闇はどこまでも深く、この夜の色よりも黒く――。